2012年3月8日木曜日

イヴ・サンローランが愛した庭 マジョレル庭園

モロッコのマラケシュに、フランス人の世界的デザイナー、イヴ ・サンローランが愛した庭がある。
マジョレル庭園
「マジョレル庭園(Majorelle Garden)」という、サボテンやパーム、ブーゲンビリアなどのカラフルな花々に囲まれたビビットな色使いの庭園である。
元々はフランス人画家のジャック・マジョレルが1920~30年代に住んでいた家だ。
マジョレルはこの家を鮮やかなブルーに塗った。そしてこのブルーが「マジョレルブルー」という色として呼ばれるようになる。


イヴ・サンローランは1966年、恋人で仕事のパートナー、ピエール・ベルジェと初めてモロッコを旅し、このマジョレル庭園を一目で気に入った。(ベルジェによると旅の最終日には、ホテルが建築されそうになっていたこの家と庭の購入・保全を決めていたらしい)


そして1980年、2人はマジョレル庭園を購入。
なぜモロッコに?と思うが、 イヴ・サンローランは1938年、当時フランス領だったアルジェリアで生まれた。
(アルジェリアはモロッコの隣国。モロッコも当時フランス領であった。)
青年期までアルジェリアで過ごし、その後デザインの学校に入学するためパリに移り住むが、彼の幼少時代の原風景にはアフリカの鮮烈な光と色があったのかもしれない。


イヴ・サンローランの名前はあまりにも有名だが、意外と知られていない面がある。
18歳の若さでディオールに見出され、21歳で主任デザイナーに大抜擢され評判を得る。彼がパリコレで新作を発表した次の日の新聞に「イヴ・サンローランはフランスを救った」と書かれたほどだ。
しかし1960年のアルジェリア独立戦争でフランス軍として徴兵され、ストレスから神経衰弱となり精神病院に収容されてしまう。
完治後ディオールを去り、1962年に自身のブランド「イヴ・サンローラン」を設立。
もし徴兵されず、精神も病んでいなかったら、彼はディオールの1デザイナーで終わっていたかもしれない。
人生は何がきっかけになるかわからないものだ。


イヴ・サンローランはこのモロッコの別荘をこよなく愛した。
パリコレが終わるとすぐこの家に行き休暇を過ごした。アンディ・ウォーホールやミック・ジャガーも招待したという。
そして彼はこのマジョレル庭園から多くのインスピレーションを得る。
彼の最初の作品は黒が多いのだが、カラフルな色を沢山使うようになった。
モロッコの光と色が、彼の原風景を呼び覚ましたのかもしれない。
2002年に引退し、2008年6月1日にガンで死去するまで、彼は殆どの時間をこの家で過ごした。


2008年6月11日、ベルジェによって イヴ・サンローラン の遺灰がマジョレル庭園にまかれた。
ベルジェはこう語っている。
マジョレル庭園にあるイヴ・サンローランのお墓


「彼は人生の多くの時間をモロッコで過ごした。最後には、彼が生まれたマグリブ(モロッコやアルジェリアのこと)へと帰るんだ」


マグリブとはアラビア語で「西方」を意味し、「日が没すること、没するところ」を原義とする言葉でもある。
イヴ・サンローランは日の没する西方浄土へと旅立っていったのかもしれない。
原風景を探しに。