2012年7月11日水曜日

エリザベス1世がイギリス庭園を育んだ?

「イングリッシュガーデン」と呼ばれる色彩豊かで美しいイギリス庭園。
毎年各地でガーデンショーが開かれるほど、今やイギリスを代表する国民的文化の一つである。
有名なイギリス庭園の多くは、ロンドン郊外の元貴族達の邸宅「カントリーハウス」にある。
イギリスにはフランスほど多くの城は存在しない。
そしてイギリスでは城の庭園よりも、カントリーハウスに属した庭の方が数倍手間がかかっていて美しい。

その背景にはエリザベス1世が行った政策がある。

1590年に建てられたお屋敷 (Wakehurst Place)
1485年に「バラ戦争」という貴族達による内戦が終結し、テューダー王朝が誕生する。
テューダー王朝の王権が強化されるとそれまでの城壁や城は必要なくなり、貴族達の住まいは「カッスル(キャッスル)」から「カントリーハウス」に変わっていった。
(イギリス郊外の邸宅に「~カッスル」という名前が多いのはその名残。)
しかし中央集権が進んでも、地方では相変わらず貴族達の影響力は大きく、彼らはロンドン市内の家とは別に郊外に立派な本宅を構えた。


エリザベス1世
1558年、ヘンリー8世の娘エリザベス1世が女王として即位する。
(映画「エリザベス」でケイト・ブランシェットが演じた女王)
彼女もフランスのルイ14世のような絶対君主であったが、巨大な城を造ることはなかった。
しかし自らが造らない代わりに、家臣である貴族達に立派な屋敷を造らせ、自分はそこを泊まり歩いたのだ。

女王は家来を100人以上も連れてくるため、受け入れる側もそれなりの準備をしなければならない。
彼らは女王に気に入られるため、美しい庭と屋敷をせっせと造った。
嫌がらせか?と思うほど何度も訪れる邸宅もあれば、せっかく綺麗に整備しても全く訪れてもらえない所もある。
そうやってエリザベス女王は貴族達に財政的負担を強いらせ、彼らの力を抑制しようとしたのである。

日本では江戸時代、徳川家が中央集権国家をつくるため大名達に「参勤交代」を命じた。
彼らに江戸を往復する旅行をさせることで出費させ、力を弱めようとした。
エリザベス女王はこの反対だ。自ら出掛けて行って、貴族達にもてなさせ、出費させた。

こうした政策のおかげ(?)で、カントリーハウスは立派なものとなり、その庭も豪華になった。
エリザベス1世は図らずしも美しい「イングリッシュガーデン」を育む基盤を作ったのである。
自分をもてなすために造られたガーデンが後世イギリス文化を担うとは、女王も想像していなかったことだろう。
Great Dixterのイングリッシュガーデン