庭の定義が仏教の経典やキリスト教の聖書に書かれているだろうか。
イスラム教徒にとって、庭はそれだけ重要なのだ。
イスラム庭園がシンメトリーに4分割されている理由は、「楽園の四大河」からきている。
四大河とは、「水」、「乳」、「葡萄酒」、「はちみつ」の事であり、私的領域がこの4本の水路で4分割される。これをペルシャ語で「チャハル・バーグ(4つの庭)」という。
大切なものが水や乳というのはまだ理解できるが、そこに葡萄酒やはちみつが入っているのが面白い。イスラム人の生活の中で何が大切なものなのか理解できる。
日本だと何に当たるのだろうか?水は同じだが、他は酒?味噌?豆乳?日本庭園の中でそんなものがテーマになっているものは一つもない。
庭のテーマやデザインから、その国の文化がよくわかるのだ。
しかしこれだけ宗教観も文化も日本と違うイスラムの庭園であるが、なぜか私には親しみが湧く。
それは「プライベートな中庭(パテイオ)」というコンセプトが、京都の町屋の庭に似ているからだ。
京都の古い町屋の一番奥には美しい「奥庭」があることが多い。しかしそこはその家の者とごく限られた客しか入れないプライベートな「座敷」に面しており、関係者以外はその庭を見ることができない。
まさに私的な「内なる庭園」。
そしてその奥庭があることで、暗い町屋の中がぱっと明るくなり、それぞれの季節を感じることができる。
座敷から見ると一つの大きな絵画を見るようで、気持ちが和む。
京都の蒸し暑い夏にも、外からの涼しい風を室内に運んでくれる。
京都の町屋の庭は景観だけでなく、機能的な役割も果たしている。
暑い外の世界から帰宅し、プライベートな空間で心と体を癒すための庭。イスラムの庭と京都の町屋の庭は意外と似ているのだ。
余談だが、モロッコの村で見かけた川沿いの絨毯カフェを見たとき、私は京都のある見慣れた風景を思い出した。
夏の間、三条~五条の鴨川沿いに現れる「床(ゆか)」だ。
京都の人は蒸し暑い夜を少しでも涼しく過ごすため鴨川のほとりに床を建て、そこで食事し、酒を飲み、涼を感じる。
モロッコの人も京都の人も、考えることは同じだな、とちょっとおかしかった。
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