2012年2月6日月曜日

泣かせる庭 重森三玲

庭を見て泣いたことはあるだろうか?
感動したり、幸せな気分になることはあるが、私はまだ泣いた事がない。

外国の人に庭を案内して今まで2人、庭を見て泣いた人がいた。
それは偶然にも同じ庭。
京都、東福寺の北庭、敷石と苔の市松模様が美しい「市松の庭」だ。

一人は52歳のイギリス人の女性。
彼女は2人の子供を育てあげ、これからという時に旦那が他の女性と浮気し家出、そして離婚。その後子宮摘出の大手術を受け、回復後カナダの園芸学校に入学してガーデニングを学ぶという経歴の持ち主だ。
いつもは大らかで、いかにも「よく喋るイギリスのおばちゃん」といった彼女が、この「市松の庭」を見た途端その場でポロポロ泣き始めたのだ。
そしてこう言った。

「この庭を見たとき、今までの自分の人生は何も間違ってない、と言われたような気がした。そしたら心がスーっと軽くなって、泣いてしまったの…。」


もう一人は47歳のデンマーク人の女性。
彼女は独身でとてもスタイリッシュな女性。40を過ぎてから再び大学院に通い、一生懸命勉強して子供のためのセラピストになった。お父さんが早くに亡くなって、お母さんを支えて生きてきた人だ。
彼女もやはりこの庭を見てポロポロと泣き始めた。
理由はやはり

「肩の荷が降りたような気分になったの。今までの苦労が報われた気がして…。」

50年という人生の半分以上を生き、酸いも甘いも知った年齢だからこそわかる気持ちなのかもしれない。
「苦しみ」や「悲しみ」という経験の果てに、「美しいものをより深く理解できる心」が備わるのなら、年を重ねることも悪くない。

この東福寺の庭は、1939年に重森 三玲(しげもり みれい)という作庭家によって造られた。
この時三玲は43歳。自邸以外でデザインした初の作品。この歳で初めての作庭とは遅咲きである。

彼は若いときに美術大学に入り日本画を学んだ。
26歳の時に文化大学院なるものを創設しようとしたが、関東大震災によって断念。
30代で新興いけばなを広めようとしたが、家元制度の壁が厚くうまくいかなかった。
しかし38歳の時に室戸台風により京都の古庭園が荒廃。復元修理のため、40歳の時に日本各地の庭園の実測調査を自ら始める。
この調査費捻出のため、奥さんは自宅で下宿屋を始めたそうだ。(この前年に生まれた赤子も含め、その時彼には4人の子供がいた!)
実測した庭園はなんと500以上。そして26巻から成る「日本庭園史図鑑」を刊行する。

結果それが縁となって東福寺の和尚から作庭を頼まれ、これが彼の代表作となった。
その後200以上の庭をデザインすることになるのだが、決して最初から順風満帆とは言えない、色々苦労のある人だった。

彼は晩年「ついに東福寺の庭を超えられなかった」と語っている。
彼が持てる渾身の力と情熱を注いで造った庭だったのだろう。
だからこそ「人を泣かせる庭」なのかもしれない。
70年経っても、その「気持ち」は伝わるのである。





2 件のコメント:

  1. こんばんは。
    この記事読んで、東福寺の庭にすごく興味わきました!
    自然は言葉も国も超えれるけれど、
    それでも誰かの胸に響くのは簡単じゃないと思うし、
    涙がでるほどってほんとうにすごいことだと思った。
    他の記事もとてもおもしろかった!!

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  2. makiさん、コメントどうも有難うございます!
    国境を越えて胸に響くっていうのはほんとすごいと思います。造り手の「気持ち」って、「美」を通して伝わるものなんですね。
    これからも少しずつですが頑張って書いていきますので、またぜひ感想をお聞かせくださいね!

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