2012年2月13日月曜日

「天龍寺船」は庭のために始めた!? 夢窓国師

「地上の楽園」の回で、イスラム庭園は現世の楽園を表しているという話をした。
ヨーロッパでも同じ。庭は理想の楽園「エデンの園」を表すものであった。
では日本ではどうか?

日本庭園にも楽園を表す庭園がある。
それは京都の松尾にある「西芳寺(さいほうじ)」だ。
美しい苔が有名なため「苔寺」という名前でも呼ばれる。
日本なので楽園ではなく、「極楽浄土」の世界を表している。

西芳寺の庭を造ったのは「夢窓国師(むそうこくし)」である。
彼は一番最初に「枯山水」を手がけた人物。
西芳寺には今もその枯山水の石組が残る。

夢窓国師は室町時代の高僧で、「国師」いうのは高僧に与えられる称号であった。彼は歴代の天皇から7度(!)にも渡りこの「国師」の称号を賜っている。
しかし彼はただの僧ではない。足利尊氏に対して政治的発言力を持ち、重用されてた人物なのだ。

天龍寺
嵐山にある天龍寺の庭も夢窓国師が造ったものである。
足利尊氏は後醍醐天皇の死を弔うため、夢窓国師のアドバイスに従い天龍寺を開山する。
しかしお寺を造るうちに資金は無くなってしまった。まだ出来て間もない室町幕府は、南朝との戦いで財政的にひっ迫していたのである。
どうしたらいいものか、尊氏は夢窓国師に資金繰りを相談する。
そこで夢窓国師が提案したのが、「中国・元との貿易を再開する」という案であった。
これが教科書などで聞いたことのある「天龍寺船」の始まり。
中国との貿易は、一つの庭を造るために始まったのである。

そしてこの貿易のおかげで足利尊氏は莫大な利益を上げ、庭の造営どころか幕府の財政も潤い、その後の繁栄を極めるのである。
夢窓国師はなかなかやり手の「政治家兼お坊さん」だったのだ。

そんな彼が、仏教の理想の世界「極楽浄土」を表そうと造ったのが西芳寺である。

池のある庭は「極楽」を表す。
苔に覆われた美しい庭を見ながら、木漏れ日の中池のほとりを歩けるようになっている。その美しさは見事であり、もし極楽浄土がこのような姿であれば心清らかな毎日が過ごせるだろうと思う。
しかし出来た当初苔は無かったらしい。応仁の乱で荒廃し、人々から忘れられ、ほっとかれて苔に覆われたらしい。
それが功を奏し、人の力が及ばない「極楽浄土」となった。

そして山の上にある庭は「地獄」を表す。
ゴツゴツとした岩が所々にあり、水は渇き、下の庭とはまったく異なった景色が広がる。
しかし山道を登りきると、壮大な枯山水の石組が目の前に広がる。
滝を表したその石組は600年経った今でも、まるで本物の水が流れているかのように見える。
山の中から湧き出た清水がこちらに流れてくる様子が想像できるのだ。
夢窓国師が優れた「造園家」でもあった事が十分窺える。

石組のすぐ横にはお堂が建ち、中には夢窓国師の像が安置されている。その像は石組の方向をじっと見つめている。
何百年もずっと自分の最高傑作を眺められるとは、高僧もさぞ幸せであろう。



(*西芳寺は要予約。希望日の一週間前までに往復ハガキに希望日、人数、代表者の住所・氏名を明記し応募すると、返信ハガキに拝観日と時間が書いて送られてくる。冥加料3,000円~ )





0 件のコメント:

コメントを投稿